
あゆみ
初代教会長 山田伊三郎師 、
と共に、
二代教会長 山田金次師 の足跡
金光教片江教会のあゆみを紹介します。
初代教会長 山田 伊三郎(やまだ いさぶろう)師
明治22(1889)年 6月 10日 京都市山科区椥辻にて出生
昭和50(1975)年 1月 27日 帰幽(享年86歳)
金光教布施教会副教会長
金光教片江教会初代教会長
金光教大阪府第六教会連合会会長 など歴任
初代教会長 山田 伊三郎師は、明治22 (1889)年 6月 10日に京都市山科区椥辻に生まれ、21歳の年、働いていた酒・醤油店の主人の義弟であり、当時、金光教難波教会で修行されていた村上 定次郎師(後の金光教布施教会初代教会長)のお手引により金光教難波教会に参拝し、御神縁を頂くこととなります。
その後、金光教玉造教会に参拝して信心を深め、大正5 (1914)年 2月、村上 定次郎師の勧めで当時 金光教難波教会副教会長の御用をされていた吉田 新太郎師(金光教島之内教会二代教会長)に師事し、金光教島之内教会での修行生活に入ります。
一年間の教会修行の後、金光教教義講研究所(現、金光教学院)での修行を経て、大正7 (1918)年 2月 5日にお道の教師に拝命されました。 山田伊三郎師、27歳の折のことです。
翌、大正8(1919)年 1月、満洲国 天津で御用されていた金光教教義講研究所同期の杉本 董師(後の金光教黄金教会初代教会長)の勧めで天津に渡り、12月には満洲国 奉天教会の手続きで鞍山の地にて布教することとなり、2年後には金光教鞍山教会長を拝命しました。
同じ年、広島県尾道出身の吉本セキヨと結婚。 大正12 (1923)年 4月10日には、長男 金次(後の金光教片江教会)を授かりました。
初代教会長 山田伊三郎師

大正15 (1926)年 6月、村上 定次郎師からの要請により、金光教鞍山教会の後継を在籍教師の上野 文蔵師に託して満州の地を跡にし、内地に戻ることとなります。
内地に戻った後、金光教布施教会を親教会と仰ぎ、大阪市東成区片江町の地(現在地)にて布教を始めると共に、昭和2 (1927)年 3月に金光教布施教会副教会長に就任。東大阪の布施、そして、片江の両地で御用を行うこととなりました。
昭和5 (1930)年 9月1日、金光教片江教会として公の許可を得ることができ、初代教会長として片江での本格布教が始まりました。41歳の時です。
山田 伊三郎師はまっすぐな性格で、神様第一、親教会(金光教布施教会)第一と想われ、片江に上水道が通じた時には、「この美味しい水を親教会に。」と、毎日桶で水を運んだと伝わっています。
その一方、笑いを絶やさず、ユーモアたっぷりの一面もあったようで、とあるお教会の大祭へ御用に行かれた時のこと、持っていた"手ぬぐい"を肩に担いで、
「これ、藁(ワラ)ですねん。 肩にこうやって、担いでね、お百姓さんは仕事してはりますやろぉ~。 『藁を背負うて』ね。『ワラをオウて』ね。そう、『笑うて』ね。」
「みなさん、笑おうて生きましょな~。」と、笑顔でお話しをされていたという逸話が残っています。
■山田伊三郎師の出生から布教まで
■山田伊三郎師による布教以降

金光教鞍山教会お広前にて
(セキヨ婦人と共に)

金光教鞍山教会 ご大祭

金光教片江布教所

布教50年・開教45年記念大祭

教会奥城 納骨堂
(霊山寺 東光院大霊園)

二代教会長 山田金次師

(金光教片江教会お広前にて)
幸子婦人と共に

